すろぉもぉしょんとゆっくりの話

こんにちは。片品雫です。


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ピノキオピーのすろぉもぉしょんで、ゆっくりのパートがありますよね。
タイトルと掛けてるんだろ、っていうのはそうなんですけど、ぼくも屑だからとかでも使われてて。別に複数回出したっていいんですけど、掛詞で出しただけ、というのも少し納まりが悪いところがあると思うんです。
何なのかというと、あれは匿名制の象徴として使われていると思うんです。「名無し」とかと同じような、ネットの初期アバターみたいなものとしてのゆっくりがあって、それがミクさんと対比されている。そんな風にして聞いている人が多いんじゃないかと思うんです。たぶん。

 

それはきっと、今ではけっこう古い感覚で。
今のゆっくり解説ブームのなかで、ゆっくりはすごくキャラクターとして認知されていると思う。

もちろん昔から、東方二次創作とかの間ではタコルカみたいなマスコット的な扱いはあったけど、それだけではなくて。とくに何も知らない人がふと見た時に、そこにいるのはただの正当な萌えキャラだし、知らない誰かがいじっているゲームのプレイ画面があるでもなくて、そこで喋って跳ねてかけ合いしているのがキャラクターだと思うのはすごく自然なことかもしれない。
そうなった要因は色々あると思います。ゆっくり解説は実況とちがって、生声実況という何か競合ジャンルの代わりと見られることはあまりなかったのもある気がする。あと、立ち絵の多くがきつねゆっくりになっていったのもある気がします。2015年の素材禁止騒動が実際どれくらい影響があったかは私にはわからないけど、とにかくきつねゆっくりは表情豊かですよね。旧ゆっくりは結構画像だなー感もすごいし、意外とああいった部分が大きかったんじゃないかとも思うんです。あとはニコ生が衰退して、読み上げ機能もあんまり見なくなったとかもあるかもしれないと思う。

いずれにせよ、2010年代をかけて段々と、彼女たちはネットの無課金アバターとしての役目を終えていったというのが私の理解です。その役目はTwitterのようなソフトなコテハン制のなかで、また別の何かが担っていくのでしょう。アライさんとか...は古いか。
その変化はよい変化なのか。というのは、基本的に肯定されるべき変化なのだと思います。元々のそれは偶然の産物に過ぎなかったわけだし、今というのは立ち絵にせよ作劇の手間にせよクオリティが上がった結果なわけだし。そっちの方が愛もある...かは分からないけど。
ただ。あの.pngな後ろに誰かがいたようないなかったような、そんな時代ですろぉもぉしょんを聞いてみるのも、たまには悪くないんじゃないかと思います。
あまりいい気分はしないけど、思い出せる動画とかもあるかもしれませんし。

 

しぼう

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たまには少しせわしなく

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