ジラーチの映画って良いよね。


「七夜の願い星 ジラーチ」を久々にみました。

「いや、今かよ」って思った方。

安心してください、私も思いました。何で?

もう語り尽くされた映画なのですけど改めて感想をぶちまけます。

長い感想だし文章ぐちゃぐちゃですが、是非読んでください。

暇なときでいいので。

 

 

まず、率直に七日間の話をよく一本でまとめようって発想にいたったなと思った。ポケモン映画は上映時間の都合で割と短めに、最大でも3日4日その街に滞在するサトシたちを描いている(と思う)。

しかし、7日。重い、脚本の負担があまりにも、、、

そのせいか、やはり見返すと若干テンポはフラついていた。ハルカがウィッシュメーカーを降りたたむシーンの賛否はぜひ語り合いたいところだ。個人的には入れざるを得なかったし、入れたことによる弊害も確かにあった、ぐらいに納めておく。

しかし、シンプルでわかりやすい構成を切り詰めて、しっかりとした起承転結で話を作り上げているところはやはり湯山監督、スタッフの子供に見せる映画というプロ意識の高さ。

やはりこの頃はターゲッティングまだ子供だけだったこともあり、今は相当苦心しているんだろうなと伺える。

改めて湯山監督の匠の技に脱帽。

次はテーマ。

七夕をテーマにおきながら、一切和を感じさせない世界観のテイストには恐れ入った。普通は和チックな舞台にしたがる。

作中にファウンスという、ジラーチが眠る大地がある。ここ、正直脱帽ポイント。日本における七夕は奈良時代に中国から伝わり、日本の伝説が混ざってできたものとされ、起源は漢の文選らしい。そしてファウンスは中国にある世界遺産武陵源がモデルだ。

また、武陵源には実際保護植物や保護動物が多数暮らしており、まさしくファウンスの大自然そのものだ。

日本的な話に囚われず、さまざまな文化をフィーチャーしつつポケモンの世界として再構築した点に関しては、ポケモン映画の中でも舞台設定は間違いなくトップであると言わざるを得ない。


次はお話に関して。

ポケモン映画では珍しく、バトラーという悪役が完全な悪じゃないのはストーリーとして今までとは変わっていた。

これには自分なりの考察をば。

一例、序盤でサトシ一行が私利私欲でお菓子増やしたりするシーン(言い方が悪い)。

この映画は人間の悪とも言える行為「人間の我儘」を所々に描写している映画なのだ。

バトラーは自分をマグマ団見返して、ダイアンに理解されたい我儘、幼馴染ダイアンはそんなバトラーを理解せず昔のバトラーに戻って欲しい我儘。

その2つがすれ違って、二人の悲しい関係性を描いている。この二人は言うまでもないのだが、モデルは彦星と織姫なのだ。

ここらへんに関しては子供にはわからないラインで見事に抑えきってる。

ぶっちゃけてこのストーリーとしてのテーマは、

「人間の我儘をロマンチックに言い換えたのが願いであり、その願いは結局叶わないし、大切なものを破壊することにつながるよ」

ってことだと思う。

それをしっかりメタグラードンという人間の我儘によって生まれた間違った化け物を使って表現している、といったところかと。

結局、「我儘」という言葉には「他を理解しない」という意味が強く含まれていると私は思う。「願い」も他との協調がなければ「我儘」に過ぎないということは、現代を生きる我々にとって最も重要なことではないだろうか。倫理観が見直され始めた昨今では当たり前のことではあるが、この基準を守れずに権利を声高に主張してしまう人がいたりもするので、私も改めて関心を高めていきたいとこの映画を見て感じた。

無駄に考え過ぎかもしれない。うん。

ジラーチ、可愛ヨ。可愛ヨ。


正直まだまだ語りたいことはある。パパイヤ鈴木そこそこ演技上手いねとか、ジグザグマのゴーカート乗りたいねとか、もういろいろ。

なんなら今回のアニメーションはもののけ姫ナウシカを参考にしたんかなと。

ポケモンの世界観はめっちゃジブリに近いと思う。そもそもアニメーション監修がハイジキャラデザ、作監などを手がけ、宮崎駿氏から必要不可欠とまで言われた天才アニメーターの小田部洋一氏だからなのと、宮崎慎二氏の作る幻想的でストレートに胸に響く音楽があるからそれが重なって見えているのかも。


私はもちろん、小さい頃にDVDを借りて見た思い出の映画、、、というのはあるが、改めてそういった感情を切り離して今回は観させていただいた。

ポケモン映画、やっぱすげぇや!!!

ありがとうございました。以上です。

 

おまけ

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チラシの上に生まれたジラーチ「チラーシ」