2018年との連続性を求めて

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 ピーマンについて……

 英語ではGreen pepperというらしい。

 


 

 6月15日、夜。

 

 ご飯炊くの待ってられない気分だったし、あんまり時間をかけたくなかったので、

 焼きそばを作ろうと思って。

 ほんとに自分は、コツコツできなくて面倒なことを嫌うタイプのヒトなので、たとえば袋ラーメンとかでも、やるとなったら抵抗感をおぼえず素ラーメンやるのね。

 だから今日の焼きそばなんかも、素焼きそばという選択肢があったわけです。

 

 でも最近は「徳を積む」ということをちょっと意識しておりまして

 主に家事とかについて、 “ちゃんと” してみようキャンペーンみたいなことをしているので、

 肉や野菜を炒めて、それなりの焼きそばを作ろうと思いました。

 

 彩りがほしかったので、冷蔵庫をみた。

 するとキャベツがあったんです。

 でもキャベツだと切るときにバラけるでしょ。ちょっと面倒。

 だから処理も難しくないピーマンを入れようと考えてたんですね。

 それで、その時思ったんですよ。

 

 「『ピーマンが苦い』という教えは必要だろうか?」

 

 って。

 

 「ピーマン」と聞いて、何を思いつくでしょうか。

 自分が真っ先に考えるのは、やっぱり「苦い」ということかな。

 

 教育番組でも、絵本とかでも、その「苦さ」というのがネタになっていますよね。

 「ピーマンは苦いけど野菜は大事だから食べよう!」みたいな文脈で、よく語られてる気がする。

 

 ピーマンは苦い。

 

 それは、もはや全人類の常識です。

 でもそれは本当にそうなのだろうか、と思うのです。

 

 そもそもなぜ、うちの冷蔵庫にピーマンが入っていたのか。というと、

 少し前に、「キャベツ以外の緑野菜も食べたほうがいいよな」と考えて、久しぶりにピーマンを買ってみたから。

 食べ方はよくわからなかったので、適当に炒めたりしまして、

 いつもの野菜のように扱いました。

 そこで思った。

 

 「意外と苦くないんだな」

 

 って。

 

 自分の中の最初のピーマンの記憶は、あれは小学校通っていたときよりも前だと思う。

 母が作ってくれたピーマンの肉詰めの記憶です。

 ピーマンの中の肉とケチャップで頑張って消し去ろうとしたけど、

 あの浮かび上がるような苦み、舌に来る苦みが、いまだに思い起こされます。

 あれ、かなり苦かったんですよ。

 


 

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 日記は、ここで終わっている。

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 先日のこと。

 年度末ということで自分のPC内ファイルの整理をしていたら、以上のような文章が見つかりました。

 それは普通のテキストファイルでした。ファイル名は「gp.txt」。記事冒頭にも書いてある、「ピーマン」の英名「Green Pepper」の「GP」です。

 たぶん匿名ブログみたいなところに漂流させたかったんじゃないかなぁと思うのですが、なにぶん4年前のことですので(2018年が4年前!)、詳細は全く覚えていません。覚えていない。

 要旨としては、

 「子供の頃から『ピーマンは苦い』みたいな刷り込みがされてるし、実際、小さい頃にも苦いと思った経験はあるけど、意外と苦くなかったしそういう刷り込みやステレオタイプは必要ないんじゃないの」

 ということを言いたかったのだろうと思います。

 もう、今では普段生きていてこんな小さいけど彩を感じるようなことを文章化しようとは思わなくなったので、2018年の自分の感性しゅごい……となっています。

 あの水準に戻るにはあともう少し時間が必要そうです。

 だが、その時は近いはずだ。期待していておくれよ、たどり着いてみせるからさ……

 

 さて、そんな未完の記事ですが、正直、ここで終わらせてしまうのはもったいない。

 せっかくなので、2022年の感性で、2018年の文体を真似ることで連続性を持たせて、なんとか完成までもっていくことにしましょう。

 待ってろよ、2018年のわたし!

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 (自分の中の最初のピーマンの記憶は、あれは小学校通っていたときよりも前だと思う。

 母が作ってくれたピーマンの肉詰めの記憶です。

 ピーマンの中の肉とケチャップで頑張って消し去ろうとしたけど、

 あの浮かび上がるような苦み、舌に来る苦みが、いまだに思い起こされます。

 あれ、かなり苦かったんですよ。)

 

 あのイメージが、今までずっとあったんです。

 ただ、このまえ焼きそばを作ったときは、意外と苦くなかった。

 

 もちろん、

 小さい頃よりも味蕾が機能しなくなったということもあるのだろうし、

 大人に近づいたために受け入れられるものが多くなっただけなのかもしれないし、

 ピーマン側が品種改良や何かで本当に苦くなくなっただけなのかもしれないけど。

 

 もしかしたら、「ピーマンが苦い」というのはひとつの先入観だったんじゃないかな、

 と、今は思います。

 

 そして、先入観で遠ざけているものはピーマン以外にもたくさんあるなあ、とも思う。

 なんか怖そうだな、とか、

 小さいころにヤバいって聞いて以来手を出してないな、みたいなものは、

 たぶん自分の中にめちゃくちゃある。

 

 良かれと思って人に刷り込んでしまうこともあるし、

 そうして刷り込まれてしまうこともたくさんある。

 

 そういった刷り込みに気づいて、意外とそうじゃないな、と思いながら一歩を踏み出すことを、早いうちにやっておきたいなぁと思います。

 

 このピーマンは、そのための第一歩でした。

 それは決して、悪いものではなかった。

 


 

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 みたいな感じかな?

 当時の自分はこういう「人生とは……!」みたいな話が好きだったし、きっと「あー、そうそう!こういうのでいいんだよこういうので」と言ってくれるんじゃないかと思います。

 今は当時に比べてずっと適当に生きていますね……。楽は楽なんだけど、果たしてこれでいいのか、わるいのか😟

 

 まあ、とにかく。

 この記事で救われた、2018年の魂というのもきっとあるはずです。

 レスト・イン・ピース!✌