「消え去りてえ」について考える


タイトル通り少しネガティヴな言葉が連発する。

問題ないという方だけ読んでいただけたら。

 

ふと嫌なことがあった日、またはそれを思い出した時などに発生する「死にてえ」という感情、またはそれが思わず口から出る瞬間。

でも正直死ぬのは痛そうだし家族とか友人のことを思い出して「やっぱ嫌だ」が大抵勝つ。

そしてその考えに至った時、「死にてえ」ではなく「存在を消し去りてえ」のだったことを思い出す。

「存在を消す」とは文字通り地球上で自分が生まれることがなかった世界に変えたいという意味である。

「死にてえ」は自発的な行動だが、「消えてえ」は世界そのものを変えてしまうという点で非常に他人任せで無責任な考えであると思う。

そう言った点でおそらく私が考える「死にてえ」ないし「消えてえ」は上述の意味ではないと。

今気づいたので書き留めている所存だ。

では私にとっての理想の「消え去りてえ」、とはなんなのか

深く考えてみよう。

そうして私は今日も貴重な1日を無駄にすることにした。

先に言っておくが今からする話は実際に「出来ねえ」話だ。

それを留意して欲しい。

 


まず第一に思い浮かんだのは、「この地球から消え去りてえ」という意見だ。

先ほどの「消えてえ」についてとの違いだが、「消えてえ」はあくまで概念的な消失である。自分はもちろん、他人も「消えた」ことに関しての認識を持つことはできない。

方や「地球から消える」とは、まさしく1人で地球からの脱出をすることである。宇宙へ飛び立つわけだから、自他共にも「消えた」ことを認識できる。宇宙には少なくとも自分のことを理解している人間は誰もいないわけなので、誰にも新しく知られる、つまり新たな嫌な思いを生むことなく1人で生きることさえできればかなり気楽な生活を送れる。

では無人島でいいじゃないかと思ったが、これに関しては一つの意見として距離の問題だと私は思う。

現象名については忘れてしまったが、他者との距離が離れれば離れるほどその他者について思いを巡らせることが減るというのを聞いたことがある。

つまり、私の「消え去りてえ」のきっかけともなる嫌なことが起きたり思い出したりをどちらも防ぐ手段になる可能性があるわけだ。

だからこそ宇宙への逃走は、記憶の面からみてもかなり優れているように思える。

問題は1人で生きるという行為に絶望感がどれほど伴うかだ。

その時ばかりは流石に「死にてえ」が正になるのかもしれない。

結果オーライ、というのは不謹慎だろうか。

 


次に考えたこととしては、最初に言った「消えたい」が他人からの認識を消すという点だ。この考えだが、よくよく思えば「人類から全ての私に関する記憶を奪いたい」と同義なわけである。

これは私の中で「死にてえ」が「○してえ」と紙一重ということではないだろうか。

「嫌な思いをしたくない、思い出したくない」

→「だからこそ自分の存在を消して1人でありたい」

→「だからこそ自分以外を○して1人でありたい」

 


1人になるという点で共通しているこれらの関係性はかなり面白いなと思った。どのみち自分以外が周りに居なくなった状況を作っている点で結果は変わらないのである。

「消えてえ」に関しては思ったことがある一人一人にそれぞれ「消えてえ」の解釈がそれなりにあると思う。

仮にこれが私と一致した人ばかりなら、人類は大量殺人欲求を持つ潜在犯の集いになってしまう。戦争している期間のが長い生物だから意外とそんなもんなのかもしれないが、ちょっと怖すぎてシャンプーしていて目を瞑れなくなりそうだからこれ以上はやめておこう。

ただ、同じ条件として「自分以外が全て感情機能を持たないロボットになってほしい、または自分もロボットになりてえ」というものが浮かんだ。

「他人の記憶を消してえ」以上にややこい話だが、存外馬鹿にならない気がする。

…こんな考えで一日潰してるから既に馬鹿になってるとか言わないで。

感情を持たないロボットの前では失言しようがなんだろうがお構いはない。こちらから何か話すことはあれど、私を非難することもなければ、人間特有の空気感を持つこともない。

そして「何か話す」というのも重要だ。この状態であれば決して1人ではないわけである。話すこと、口を開くことは宇宙で起きうる絶望感の緩和が期待できる。

私に対して何の感情も抱き得ない、しかしそこに話すことのできる存在として確かに「ある」。

これはなかなかに快適だ。安心して眠ることが出来そうだ。

それでも緩和は緩和だ。いつかは壊れていくのかもしれない。それほどまでに人間関係の繋がりに恋焦がれてしまう自分が一番憎い。

やはり自意識もいらないように思えてくる。

結局「死にてえ」に回帰してしまった。

 


などと、今日は私の中に抱える「消え去りてえ」の真意について私なりの考えをつらつらと書いてみた。

大概「死にてえ」なんて考えている時は今の現状に満足がいかない時だ。そんな現状だからこそ嫌なことが悪目立ちしたり、過去の引き出しをガサゴソしすぎて余計な記憶を引っ張ってくるのかもしれない。

ある意味ではよくできた防衛規制である。

頭を混乱させることで、思考を麻痺させるわけだから。

やる気を失えば眠気が出てくる。

眠れば多少はマシになる。

人間の頭よ、そんなもんであれ!と思った。

 


私がここにいる限り、嫌な思いはまたするし、嫌なことはまた思い出すことになるんだと思う。

つまり、私の「消え去りてえ」の哲学はこれからも続いていくんだろう。

回帰して回帰して、その果てに真の「消え去りてえ」を見つけられた時、人生がうまくいっていますように。

うまくいく前に辿り着いてしまった時、私は「消えている」のだろうから。

まだまだ「消えたくねえ」、というわけです。