椅子が「椅子」じゃない世界

 

 

椅子に座る。
モラトリアムの間は1日のうちの大半を椅子で過ごす刑罰を科される。木の椅子に長いスパンで座っていたらみんな痔になるて。
人間10割痔である、トキソプラズマの感染率並みに私は信じてる。
そんな身近どころかもはや体の一部である椅子。
そんな椅子について暇だから考えてみた。
まず、この椅子の用途が座るじゃなかったら怖いなって。
みんな立ってたらどうしよう。
教室入ったらみんな椅子に直立して授業受けてる。いやこれ怖くないわ、爆笑しちゃうわ。この世界線で最初に腰かけた奴ノーベル物理学賞貰えそう。
他には「咥える」ものとしてだったらどうだろう。「椅子を咥える」という文章はもしかしたら知らない方言にあるのやもだけど、全く想像つかない。というかみんながこぞって咥えていたらなかなかホラーだ。というかどう咥えるんだ。咥え方によってファッションが出るのか。君の咥え方は古典派だね、なんて。いや怖いよ。
次に名前について考える。「椅子」じゃなくて「バスロマン」だったらどうだろう。
江戸川乱歩の「人間椅子」が「人間バスロマン」になった。
最高だな。最近ありがちなエッセイテイストの漫画みたい。
「安楽バスロマン探偵」。安楽が過ぎる。湯船に浸かりながらフワッフワの推理で「はんにんあいつぅ〜」ってふやけた指で三人くらい指してそう。「安楽」って言葉、どうしても「死」を連想しちゃうけど本来こういったものにつけるべきよね。
皆さん思ったことだろう。
そんな無駄なこと考えてないでなんかしたら?と。
本当にその通りである。
はい、課題やってはよ寝ます。
ギョヘヘ。