東京ドーム一個分は本当に東京ドーム一個分なのか?

 

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「東京ドーム何個分」という表現を耳にしたことはないだろうか。

 

ある特定のものの大きさを測る上でメートル法を用いると、一定の大きさ(身長やビルの高さなど)は分かりやすく思えるが、面積、特に国土クラスの大きさとなるとイマイチピンとこない感じがする。そんな時によく用いられるのが東京ドームの大きさだ。


ぶっちゃけて言うと、私はこの表現にピンときてはいない。まず東京ドームに行ったことはないし、テレビ中継は望遠レンズでピッチャーの後ろ姿を捉えているためにやや窮屈にも思えて大きいものという認識がしづらい。

もちろんとても大きいということだけはわかるし、実際「〇〇は東京ドーム1000個分」と言われたら「大きいんだなぁ」という知見は得られる。計り知れない数字の面積(㎡)を聞くよりもその印象はよく伝わる為、一種の表現技法としては適切なものであることは間違いない。

 

実際に調べてみれば、東京ドーム(単位)の記事がWikipediaにもある。なるほど「東京ドーム何個分」は日本では定番のミームとして煮詰まっている。

また、単位として測る際には四捨五入をして、本来の大きさである46755㎡47000㎡、つまり4.7haを用いて測るのが一般的であるらしい。

 


…ちょっと待ってほしい。

記事タイトルが早速回収されてしまった。

つまり、東京ドームの本来のサイズで測っているわけでは無いのだ。

 


この東京ドーム、「盛ってる」のである。

 


比較したサイズで言ったらおよそ245㎡盛っている。

これは大体標準的なセブンイレブンの店舗面積の平均(234㎡)に近い値であり、東京ドームで例えるなら0.00521276595個分東京ドームは「盛ってる」のである。

この数値には驚いた。あの「東京ドーム」がだ。

いや、たかがこの程度の違いでケチつけるかと思う方もいらっしゃるだろう。

 

しかし、前書きとして私が書いた通りだ。

ある特定のものの大きさを測る上でメートル法を用いると、一定の大きさ(身長やビルの高さなど)は分かりやすく思えるが、面積、特に国土クラスの大きさとなるとイマイチピンとこない感じがする。そんな時によく用いられるのが東京ドームの大きさだ。

 

つまり、途方もない大きさだからこそ「東京ドーム何個分」は息ができるわけである。

しかし、途方もない大きさを測る時に大体のサイズで切り抜かれた東京ドームが用いられた場合、その誤差も途方もないものになってしまうのだ。

 

例として群馬県を用いてみよう。

群馬県の面積は6363.16k㎡、㎡に直せば6363160000である。

これを「大体のサイズで切り抜かれた東京ドーム(以下ダサイヌドーム)」では何個分になるか計測してみると、群馬県は「ダサイヌドーム135386.382979個分(小数切り捨てであれば135386個分)」であることがわかった。

この数字を見ればもう読者の皆様も察したことであろう。

つまりダサイヌドームで群馬県が計算された時、セブンイレブン135386店舗分の誤差が生じてしまっているのだ。

セブンイレブンの世界の店舗数は約71800店舗である。

世界からセブンイレブンを集めて平野にぎゅうぎゅう詰めにしても足りない。

面積に変換すれば、その誤差は33169570㎡。

「ダサイヌドーム705個分」も「ダサイヌドーム」は盛っているわけである。

こう聞けばこのダサイヌドームが引き起こしているこの欺瞞と矛盾に気づけたと思う。

ダサイヌドームで計測してしまうと、実際の東京ドームのサイズでは群馬県に全然足りないのだ。

 

さらに中国のような広い国土面積(で計算すれば、中国はダサイヌドーム201685063.83個分である。

もう一度言わせていただくが、セブンイレブンの総店舗数は71800店舗である。

 


まとめ

まとめる、といっても誰しもが知っての通り、平均的で誰にも分かりやすく設計された単位は、実際と比べればひどく違っていることが多いわけである。今でも使われているメルカトル図法、古い話であればリットルとデジリットル…など枚挙に暇がない。

ただ、知覚的に分かりやすい概念は必ずしも悪ではない。無限に広がる宇宙から、惑星の体積や質量を考える際に我々ではその大きさを理解し難い。その際に少数を切り捨てて考えたり、特定の物体に頼るのは我々の理解の一助になる。

 


それでも、そういった大きさの話を聞いたり話したりする時には一度このダサイヌドームの例を思い出してほしい。

それはあくまで「ものの例え」であることに変わりはないのだ。