「〇〇になれない」という未来予知

 

 

「貴方は将来、〇〇になれない」と言う未来予知は、占う側も占われる側も傷つかないのでは無いかとふと思った。
仮に「〇〇になれない」と言われて「〇〇になれないのか」と思った時に、その〇〇を避けて行動するようになるとすると、これは行動者にとって一番のリスクヘッジになる。〇〇を目指す際に失う時間を有効的に活用していく道筋を立てやすい。
逆に「〇〇になれないわけない」と占いを信じないで〇〇を目指そうとする場合においても、「〇〇になる」と「占い師を負かす」が同義になるため、目標が2つに増える上に「どう負かすか」という基準で目指すべき方向に向かうように考えることができる。
そして、どちらの場合においても占い師は損をしない。占い師の言うことに従ってそうなったのなら占い師は言うことはないし、占い師の言うことを跳ね除けて目標を達成したならば、これは誰彼問わず「知り合いが大事を成した」ならば占い師だってそりゃ普通に嬉しいからだ。
ここまで書いといてポジティブ思考がすぎるなと思った。
そんでも無責任に「〇〇になれるよ」というよりは誰も傷つかない結果が残りやすいように思う。まあ最近の否定できないものに対する「とりあえず肯定して放置」みたいな自由の至上観が私自身正直苦手だからかもしれない。
「否定も貴方の目標への原動力ですよ」と言いたいだけの厄介な人間になってしまった。だが、先述した「占い師を負かす」という目標が本来の目標を凌駕してしまって、否定した人間を差別主義として自由の枠組みから排除することに愉悦を覚えるシーンを多々見る機会が増えている気もする。
人間の本能と論理の天秤はいい塩梅を取りづらくてなかなか難しいですね。
胸糞悪い愚痴っぽい文章だ。
最後にウミウシの種類を紹介して和やかにしてやる。


•シロウサギウミウシ
特徴:かわいい
•シンデレラウミウシ
特徴:かわいい
•イチゴミルクウミウシ
特徴:かわいい
•キイロイボウウミウシ
特徴:かわいい

かわいいね〜