マグロの解体ショーは見るが豚の屠殺は見れない

 

 

マグロの解体ショー、というか魚全般が捌かれている姿を私は「めっさ美味そう」と思って見る。しかし、なんとなく豚の解体ショーはちょっと怖いなって思ってしまう。
体の構造が近い同じ哺乳類だからなんだろうか。生物の死骸に意図的な行為を加える光景は同種に近づくにつれ嫌な感情が芽生えている気がする。
かといって犬食なんかがお隣でもあったり(最近は変えていく動きが強まっているらしい)するし、生きてきた環境にも起因するんだろう。もしかしたら魚を一切食わずペットとして扱ってきた国があったら、解体ショーに卒倒するやもしれない。
生き物を食べる行為はどんな生き物でも必ずしなければいけない行為だ。私とて例外ではない。その行為を否定してしまえば最後岩石に齧り付くしゃくれプラネットになるしかない。それでも意識的に生き物を差別し、漠然とマグロの解体ショーを楽しんでしまう私はまだ精神が幼いのかもしれない。
最初に「嫌だなぁ」といいつつも、実はとある授業で豚や牛の屠殺の映像を見たことがある。それはそれはグロテスクな光景ではあったが、我々が命を繋ぐ為の食糧を彼らから授かっているのだと強く意識させられたし、逆に言えば彼らを養殖することで、彼らも遺伝子を次世代へと受け継いでいるということも考えさせられた。昔読んだリチャードドーキンスの「利己的な遺伝子」という本を思い出し、農業や漁業、はてには林業をやられているような方々は「命」に対する「思考」と「経験」を同時に積み重ね、いつの時代も命の「哲学」の第一線で生きてきたんだと思うと本当にカッコいいし感動してしまう。
そうして私の今日の食卓にはマグロにお米、大豆からなるスープなどの数多の生命が綺麗に並べられた。
変わるわけではないのだがいただきます、といつもより気持ちを強く持って言ってみる。
大変美味い。あっというまに平らげてしまった。
本当にいつもごちそうさまです。
なんだかクサイ文章だな。