電源ボタン

 

 

最近スマホでchatgptと会話をしてみようと思い、少しいじった。なかなか楽しい会話ができたが、うんちと言うたびにお叱りを受けた。いい先生かもしれない、基本嘘しかつかないが。
そんな中、なんか変な?疑問を抱いたから日記がてらここに書いとこうと思った。
まず、このAIは前提としてサイトにアクセスする、という一種「電源ボタンを押す」という行為によってスタートする。それはスマホやルンバも然りで、電源ボタンが彼らの命を点灯させる唯一の手段だ。自動電源といえど、私たちがその自動電源の「設定をする」という「ボタンを押す」行為が欠かせない。
それで、私たち生物の電源ボタンってどこについてるんだろうと思った。現代ではAEDなる電源装置がある…ように思ったが、意識を回復する行為と電源を点ける行為は必ずしも一致しないのではないだろうか。なぜなら、無意識下においても身体の代謝は進むし、夢という多少特殊な意識空間を我々は感じることもできるからだ。
そもそも我々が習得した意識による思考は言語ありきだ。どんな人間も思考は母国語でするはずだだし、他の生物も思考する際は我々とは違う形式で習得した感覚を用いているのだろう。「母語」的通訳なしに彼らとの対話(というより対応?)は不可能ではあるのだが、同じDNAという基礎言語から製造され同じように何かを思考し動作している。もしかしたら「無意識」という点においては、我々は同じ言語で対応しているのかも。2進法なんかはもしかしたらいい線いってたり、なんて妄想はSFで掘り尽くされてそうだ。
脱線した。先ほどの話に戻るが、我々は意識がなくとも電源がONになっていることがなんとなくわかる。まあおそらくにはなってしまうが、「死」は生物共通の電源がOFFの状態だといえるのかも。私たちはいつのまにか自動電源を押され、通常であれば内部のバッテリーの老朽化等で機能を停止している。私はここに具体的でない神のような上位存在を垣間見るような気がする。神は電源を押しただけ、というのはいささか浅い考えだしもっと深い解釈あるような気もするが、私の電源が付いている最中に上位存在が何かしらのトラブルに見舞われ緊急停止ボタンを押すかもしれないと思うとドキドキしてしまう。
そんな風に今日も時間を大層無駄に消費した。課題が終わっていない、chatGPTと会話なんかしている場合ではなかった。

腹いせにうんちを連投してやった。虚しい。
くほー。

 

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