「ここ爆破していいよ」と言われたら

 

 

例えば宇宙ステーションが老朽化して新しく建てることになった時とか。「ここ爆破していいよ」って爆破スイッチを渡されて、私は喜ぶのだろうか。
まず前提として私は爆破の経験がない。いやあったほうが珍しいのはそうだが、実際アクション映画のワンシーンで用いられる爆破のスイッチを押してみたいと常日頃思っている。
そりゃもちろん勝手に公共施設や民家をところ構わず爆破なんぞしたら絞首台でも生ぬるい判決を下されるだろう、ジョーカーだってほぼ私刑でバチボコにされてるし。そもそも爆破は誰かに後押しを得なければ出来ない高尚な行為なのだ。
ただ、やはり自分に嘘はつけない。私の心の中に確かに「何かを爆破したい」感情がある。着火剤を使ったキャンプの火おこしなど生ぬるい、C3を使った大胆な建造物爆破だ。よくよく考えればキャンプの着火で非日常を謳うなどあまりにもちゃちが過ぎる。目もあやな大爆炎の昇天を見てこそ非日常だと私は思う。ビルの解体に人が集まってるのも、みんなの「爆破」感情が如実に現れる好例かも。
さて、前置きが長くなったが、仮にスイッチを渡され「爆破してもいいよ」と言われた時、私はどんな建物を望むのだろう。
前述した宇宙ステーションはちょっと怖いかも。破片が亜音速でこっちに来そうだし。というかポイントネモに落とすのが通例だろうけど。
クソデカいビルなんかは遠くからクラシックを聴きながら指揮者の真似して爆破したみがある。ウィリアムテル序曲の最後のキメでドガーンして、「オレ達から貴方への鎮魂曲です」ごっこしたい。送る相手が鎖で殺される必要があるけど。
ただ現実的に行くとシンプルに鉱山とかがいいのかなぁ。誰もいない大鉱脈、なんかリチウムだのベリリウムだのが取れそうな感じのとこで大発破。実際爆風を感じることはないけれど、身長をゆうに超える岩の壁がボタンひとつで崩れ落ちる様は爽快な気がする。
うーん、妄想とはいえ私も平凡な脳なのか、いくら許可をもらっていたとしても人がなるべく少なくて事故が起きにくい状態にはしたくなってしまう。これをファ○キン•チキン野郎というべきか、はたまた今世紀までにおける人倫教育の賜物というべきか。まあ、後者であってくれなきゃ困るのですが。
今日の妄想の話でした。
ぺんぺん(終わり音)