「拙者」以下の私は何だ

 

 

「拙者」はなんて一人称、現代社会においてギター侍のみが使用を許されるくらいのものではあるが、「拙」という言葉が入る通り、自分を謙って言う言葉だ。なのにだ、自分だけかもしれないが何故か偉そうに聞こえる。
当時の上流階級であった武士が使っていた、というイメージに強く引っ張られているのもある。私、というか今はその階級に至ることはもう叶わない。そんなこんなで「拙者」を使う彼らは常に上にいる存在に感じてしまう、もうこの世に1人たりとも居ないのだけれど。
最近時代劇を見ていて、彼らのような目上が謙って「拙者」などと使うシーンを見て、私は「そんな「拙者」以下の私は何?」と考え込んでしまった。マツケン(実際にはマツケンの類の俳優存在)にそんなにかしこまられてしまうと、自分の小ささに反吐が出て自分の矮小さから虚無感に襲われる。いよいよ私はダンゴムシなのかい?と、いや、ダンゴムシにも失礼ですよね、すいませんでした…。こうなっちゃうのだ。
私はだな、せめて、せめて目上のものには「拙者」なんて自虐的な表現を使わず、「俺様」とか「マロ」とかを使っていただいて我々を貶して欲しいのだ。
ちっぽけで性格の悪い私だから、そうやって「目上」が傲慢な「目上」であるという、納得感を得なきゃやってられないのだ。性格の良い「目上」なんてゴリゴリなんだ。
朕は国家なり。」
常にこれくらいやってくれ、目上よ。
いやなんだこれ。