派手にやるじゃねぇか、印象論

 

 

チャージマン研の話。タイトルを特に考えてつけてないから書いていて全くタイトルが関係ない日記になりがちな当局ではありますが、今回はタイトル通りを目指します。
といってもチャー研の話なんて各媒体でそれこそ幾星霜話されてきたでしょう。やれ意味不明だ、SE無いだ、絵が下手だ、尺余りだのと。
ただ私ずっとこの意見に疑問を抱いていて。というのもこれの放映時期1974年なんですよ。原初の仮面ライダーが三年前と考えた時に、これ多分当時の子供達は普通に見ていたんじゃ無いかなって。
というのも、私初めて初代仮面ライダー見た時に、誤解を恐れずに言うと結構笑っちゃったんですよ。当然ながら当時の最大限の工夫を生かしてさまざまな撮影手段を用いて演出がなされるわけですが、今の現代人である私目線でそれはまあチープに映るわけです。こんなこと言ったら怒りだしそうな人もいるわけですが、どうか一旦刀を収めて下さいな、土下座くらいならいくらでもしますので。
それはもちろん海外作品でも同じで、スターウォーズエピソード4も結構笑ってしまったわけです。それは間違いなく、チャー研と同じように、チープさと今は無いカットの挿入のやり方に思わず「時代観」なる冷笑的な笑いを起こしてしまうのです。
そういった穿った現代的な視点を抜きにして。仮面ライダースターウォーズには今でもはっきりと傑作と言える確かな「面白さ」を感じます。言語化できないけどちゃんと「良いな」が詰まってるなと。
方やチャー研ですが、この間久々にYouTubeの公式から見ているとですね、まあ内容の荒い回はありますが、それでも「子供に味方する正義」というテーマの軸の通った作品なんだなって強く思わされました。
動画の短さの都合もあるとは思いますが、研の一貫して子供に対して厳しくも優しい一面が伺えると同時に、その一面を描くにあたり逆に「いや〇〇どうなったんだよ」と突っ込んでしまいたくなる部分が描ききれていなかったりするんじゃ無いかなと思いました。
だからこそ大半が浮かべる現代の「チャー研」像がある種冷ややかな爆笑に包まれているのに少しだけ寂しさを覚えました。かくいう自分もこの作品に対して狭い視野で見ていたものですから、なんだか反省の念も含めてそんな感情が湧いているのかも。今見たら笑うは当時のヒーロー観であって、それが印象的なワンシーンの切り抜きだけが現代の評価の全てにされてしまうのはなんとも悲しいですし、勿体無い気もします。
作品の愛し方は人それぞれですし、「笑う」ことも愛の一つであることを私は決して否定はしないのですが、遠い未来に私たちが笑い者にされているのだとすれば、出来る限りそうなってほしく無いなと願ってしまうのです。こんな我儘な考えで纏めてしまいましたが、そんなこんなで私はチャー研をうかつに笑えなくなったのでした。
今日はこんな感じの個人的な話で失礼致します。